![]()
1年2組 ドッヂボール 「続けることは大切なことだ」とわかった3回目のGEISAI出展。 受賞は本当に運だったと思います。同じものを出していても、審査員さんが違ったら、 賞はもらえていなかったでしょうし。 ただ!でも!審査員さんが同じでもあの作品がつくれていなければ、受賞はできなかった! それは重要な事実だと思うわけです。 今回の作品をつくる前提は「売る」でした。それは売れやすそうなものをつくるということ ではなくて、そもそも私はこれまで、作品を売ったことがないのです。作品が手元から離れ るというのはなんともさびしいことのような気がして、どうしてもそういう気になれなかっ たのです。 でもそれじゃあいつまでたっても「アーティスト」にはなれないし、そもそもGEISAIに出展 するのは失礼なような気がしてきたのです。(失礼な気というのは、自分を奮い立たせるた めの言い訳で、本当は人がどうということではなく決心できるといいのですが。) 「売るんだ。」という決心だけ頭にいれてあとはとにかく好きなものを描きました。 小学生がすきというわけではなく、きらいではないですが、小学生を描くのがすきなのです。 ただなんとなく私の生きているとこでは、こんなふうだよ~。ということを描くことで、 じゃあなにがしたいんだろう? 自分の考えていることを自分の作品にあらわすということも、 社会でおこっていることについていろいろ表現するということも、まずない私です。 いろいろ考えてはいるのですが、上品にそれができないうちは、やらないでしょう。 そして、いろいろ考えすぎて自分がなにを考えてるのかよくわからないというところもあります。 だからストレートにいきます。「描きたいものを描く」これです。 私は日本人なのですが(デザインの勉強を専門的にやっているということも関係していると思います。) 日本の「表現をする人たち」「表現を批評する人たち」の間になんとなく伝統的にある、 「下手なもの、意図的な部分の感じられないもの」をよい表現とする考え方に、自分の方向性に 迷いを感じることが多いのですが、(上手なもの=いいもの。ならどんなにわかりやすいか!) やはり私は日本人なわけです。なんのことはない、ストレートになにも考えずにつくったものは、 アメリカの人から見たら、「素朴でよい」となるわけです。 まだまだ下手下手なんだから、そんなことで悩むのは50年後ぐらいにして、いいから描け!って ことでしたね。 そうして、悩みというかちいちゃなこだわりの解消されたGEISAI7でありましたが、 ひとつ大きな問題が浮上しました。 「英語」 もう少ししゃべれると思ってたんですけど。 作品は2枚売れました。1年3組と、6年3組が。作品が売れるということは、 さびしいことではなかったです。「うわ~~~!!」ということでした。言葉にすると、 「うれしい!!」ということでした。作品が手元から離れるということではなくて、 なにかつながりを生みだしてくれるようなことでした。「家出」ではなくて「結婚」といった かんじでしょうか。 私の名前の意味でもあるんだわ、といいふうに考えたりして。 |