ゴミとITとわたし...「わたし」のこと








いしかわかずはる






photo:川本photo:川本史織, (C)いしかわ, courtesy of かずはる&ユカリアート・コンテンポラリー







photo:いしかわかずはる, (C)いしかわ, courtesy of かずはる&ユカリアート・コンテンポラリー





「東京電車」



東京、

ある日の中央線の光景。

車窓には過ぎ行く街並みと空。向側の席に座る人々。

明るい青は、その日の光り。



この糸のこの色が良いんだけど、細いんだよな~というわけで、二重にしてみた。

糸と糸の間(=線の真ん中)が、少し色が濃くなったり、線の中のうねりがダブルで、

ちょっと新しい表情を得たのではないかと思う。





背景の白は、

様々なタッチでかなりいろんな色味が入れてある。

ただし、目で見て分かるか分からないか分からないくらいの差異で、

「柔らかい白」を作るのが目的。

絵のサイズに比例して余白の面積も大きくなるが、見る人に立ちはだかる壁にはしたくない。

僕にとって白は、観念としての無ではなく、

どこまでも抜けていく空間の表現でなくてはならない。

主役ではないけれど、快適な前提としてある。はず。










photo:いしかわかずはる, (C)いしかわ, courtesy of かずはる&ユカリアート・コンテンポラリー





「 NO MUSIC 」



電車内の光景。

描かれているのは、

網棚の上の横長の広告と、その下に座っている人。

広告は、レコード店とお酒の会社とのコラボレーションで、

ミュージシャンがまったりウィスキーをたのしんでいる写真と、

キャッチコピーが組み合わされている。

たぶん、広告の中の人から描き始めたのだと思う。

文字の部分は、「文字を読んで書き写す脳」と「形を見て描き写す脳」と

両方が動いている。文字が不完全なのはそのため。(..という気がする)





木製パネルに布を貼り地塗りを重ね、平滑な明るい黄色の四角を用意した。

この面を基準として、その手前と奥へ±1cm未満の層構造を形成して表現した。



広告の中の人のところは、溝を彫って糸を埋めてある。

文字は、浅い溝に軽く座っている。

手前の人物は、細い糸で一度描いた上にさらに、一段階太い糸を盛って描いた。



広告の中の人物も現実の人物と同じ画風で同じ画面に描くと、

写真の像なのか実際そこにいたのか、どっちだか怪しくなる。

それはそれで、もちろんOK。だが、

ノートに描いた絵を、糸に換えて起こすのは、

捉えた「線」を、もう一度現実に送りだしたいから。

そのために、糸の物質感を必要とするのだが、

広告の中のこの場に実在しない人物については、このバランスを調節したいと思った。

紙にインクが染みるのと同じようなイメージ。

そんなわけで、キャンバス表面のほぼ内側に収まっている。

逆に実在の人物は、「盛りたい」と。








photo:川本史織, (C)いしかわ, courtesy of かずはる&ユカリアート・コンテンポラリー





「お二人」



直島にて、民宿で会った二人。(新婚さん)



僕のドローイングは、ボールペンで描くことが一番多い。

滲みや掠れや強弱といった筆の味よりも、程よく均質なボールペンを選ぶ。

この均質で有機的な線を、実在させるのにぴったりなのが、糸 というわけ。





長いことやってるうちに、「ペンで捉えた線を、糸で表出する」というのが定番のセットになってきた。

しかし、「糸で表出する」事を念頭においてドローイングをしているわけではないので、

うーむ、「糸で描くこと」を一旦忘れた方がいいのではないかと思うことがある。

同じ形式を繰り返すことで、気付かぬうちに惰性に陥るのはイヤだし、

きっと新しい表現を切り拓いていくべき使命のようなものがあるはずだろうと。

そんなわけで実は今回、

元のドローイングは「糸にはするまい」という思いもあって、敢えて筆(筆ペン)で描いたのだが、

結局、このお二人のふんわり穏やかな雰囲気が、ど~うしても、糸の柔らかなイメージに

結びついてしまったのだ。

うう...「糸にしたい。」

しかし、糸は均質。対する筆の線には太い/細いや掠れがある。

毛糸の多重螺旋をほどいたり縒りを調節したり、繊維を散髪したり...様々な手を加え表現した。



バックは、ガーゼを使用。絵具は一切塗らず、そのままの色と質感を採った。











photo:川本史織, (C)いしかわ, courtesy of かずはる&ユカリアート・コンテンポラリー





「東京電車/銀線景色」

「東京電車/日比谷線直通」

「ヴィーナス」

「オレンジペコ」

「チカテツ」



車窓に流れる景色。

たまたま乗り合わせた人たちの姿。



大きな画面も気持ちいいけど、小さい画面でぎゅっと見てもらうのも良い。

絵画は「見る体験」。

それぞれの絵に与えたい大きさというのがある。

また、線を生かす構図...つまり、キャンバスの縦横の比というのもある。

歴史の中で答えの出された幾つかの美しい四角形、すなわち、規格を

採ることもあるし、自分で作ることもある。

いずれにせよ、よく考えてきめなきゃと思っている。

今回のこの小さいシリーズにおいては、全てサイズ(縦横比)も、下地の様相も、少しずつ異なる。

さっきも言及したが、「背景の白」はとても重要だと考えている。

何にも描かれていないからといって「無」ではない。

「無」ではなく、「予感」。物語を待つ舞台のようなもの。

「し―ん」としているのか、「し~ん」としているのか、

「ざわざわ」しているのか、「さらさら」しているのか....。

それぞれちょっとずつ違うやり方で、帆布やガーゼや寒冷紗を複数枚重ね合わせ、地塗りを施した。

シャープな肌理、柔らかい肌理、綾目の肌理、それからぷつぷつとしたノイズも加えてみた。

何か感じてもらえれば幸い。








photo:川本史織, (C)いしかわ, courtesy of かずはる&ユカリアート・コンテンポラリー






「芋いのち」



さつまいものヘタを切って、小皿に水を差して窓辺に置いていたら、ぐんぐん伸びた。

綺麗だし、奇妙だし、愛おしいので描いた。

芽吹きの季節とは違うが、年の初めに もってこいの画題なのでシリーズに加えた。



細かな点については、先述の小さい5作品と同じ。

小さい作品には、その発色の良さとしなやかさから絹糸を愛用しているが、

今回は、絹糸の二重螺旋を解いて作った、極細の線も活躍している。



小さいのは、なかなか大変。

以前は形にするのが精一杯な感じがして、それって何か違う...と、しばらく作らなかったが、

最近の作品制作過程で「糸」ともっと仲良くなれたので、今なら!と思い挑戦した。

絹糸極細の開発、接着剤の成分、粘度調整や、その他細々した点を改善。

相変わらず難しいものの、「表現の自由度」が上がったと感じている。(要するに楽しい)

なので、今後もよろしく。









いろいろなお客さんと話しながら、

いろんな角度からの質問があるものだなと改めて実感。

そんなわけで、いつものアーカイブより細々としたこと書いてみた。(マニアック?)



シンプルならば、深めたい。

歩幅小さいけど、必ず進んでいくつもり。

即興の原画と、熟考の糸画。

絵なのに糸。糸なのに縫わない。重要なのは線。

日常の光景にある線は、固定された実体ではなくその時々で変化して見えるかたち。

不確定な世界のかたちを、意識的または無意識的に、自分で選んで決めている。

それが「線」の正体のようなもの。

瞬間を「辿る」感じ。



同じ景色が目に映っても、みんなそれぞれ少しずつ違った見方をしてるはず。

その他諸々、感じ方の違い。

「わたし」と「わたし」の間。

共感と新鮮。

そのちょっとしたとこを、くすぐっていきたいと思う次第。











蘊蓄...
 淀テク / 泰平 / いしかわ / 総括

写真...
 淀テク / 泰平 / いしかわ / 総括



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all photo of this page by: 淀川テクニック柴田英昭

(C) 淀テク
 courtesy of 淀テク and ユカリアート








淀川テクニック















元・バーベキュー用の網。



身長を越える大きな鉄製の作品であるが、一切溶接等の熱加工はされていない。

ニッパー等の小道具を使った手作業で曲げられ捻り組み合わされ、テグスによって

天井に吊るかたちで設置されていて、床面から少し浮いている。

大きいので淀川で一度制作し、解体して運び込み、再び会場にて組み立てられた。

網は、もちろん淀川河川敷にて入手されたものがほとんどだが、一部は

「あともうちょっと足らんなぁ~。」と、

設置作業中に会場から二子玉川まで (約5km) まで。見事に見付け、即使用されていた。



写真だと黒一色に見えるかもしれないが、実際には、黒~焦茶色の微妙なトーンがある。

これは、各部位の錆具合の違いによるものだ。

しかも、もう錆びているのに、仕上げに錆び止めが塗布されている。

いわく「錆びた次はもう、朽ちるので。」とのこと。









インコ(信号)



赤、青、黄色、色とりどりのゴミ。

とっても鮮やかだが、無着色。

プラスチック片など、わりと細かな物が集積して、羽の感じなんかけっこうリアル。

一方で、ゴミが只の部品になってしまわぬよう、気を付けているとのこと。

「こういうのが重要なんです。」と指差ししめされたのは、黒ずんぢゃったヒーローフィギュア。

確かに、ときには気持ち悪いくらいのゴミらしさがいきいきと生きている...。

尾羽の魚肉ソーセージの包装フィルムとか、頭頂部とか、ちょっとえぐいぜ。











にわとり(黄頭)



元・スニーカー(右足用)を基礎に作られた鶏。

スニーカーのカーブから生き物的動きが引き出されていて、

しかも、実際にそれだけで体重を支えている欠けた洗濯バサミの足もまた、軽やかな表情。

胸の羽毛や美しい尾羽、奇抜なトサカ、そして手前に置かれた石のような木の塊(「こういうのない

かな~って歩いてたら、あ、あった!」と。)

が相まって、絵画的ですらあると思ったらやはり、

実は、伊藤若沖(鶏を描く事への異常な執念)へのリスペクトなんだそうです。











にわとり(赤頭)



元・スニーカー、スプレー、しゃもじ、 をはじめ、ご覧の通りの様々なゴミたち。

手の仕草や身体の動き、何気ない記憶が自ずと思い出される品々で構成される逸品。

生活感たっぷりである。

炊事洗濯ok、布団も干せるし身だしなみも整えられるし、お出かけもばっちり、

文武両道で尊敬出来る。ほんの一差しお醤油をつけてくれるところも気が利いてるねぃ。



ちなみに作者によると、

靴紐がくるくる~っと洗濯バサミを巻き付け最後にぴゅっと、鉤爪になってるところ、

「ここを見てほしい!」とのこと。さりげなく高度なローテクである。











「輪ゴム塾」



展覧会初日に行われた、淀テク柴田英昭によるパフォーマンス。

柴田を講師しとし、誰でも参加自由な、少人数対面制の塾。

講師の指導のもと「輪ゴムとより仲良くなる方法」を学ぶ。

受講後は、より以上に世界を愛して生きていけるような気持ちになる。

なんと、淀テク結成以前からあたためられてきたアイデアらしく、

淀テク創作の原点に触れられる、深イイ塾である。

ここでは詳しく語るより、体験することをお薦めしたいと思う。

(いつかきっとまたどこかに現れるはず...)



当日、「なにここ、酒臭い!」とのクレームが数件あったが、

これは、「講師は呑んだくれている」という厳格なコンセプトによるものであったことを、

明記しておく。











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